「言葉に支配される」のか?「言葉を支配する」のか?

イベントを主催していて、最近、参加者の方から話を聞いて考えること。

それは「自分で発した言葉に苦しめられている」方が非常に多いということです。

 

それでは、どんな言葉で自分を苦しめているのか?

それは、「人によって定義が異なる言葉」です。

 

例えば、「愛」とか「勇気」、「友情」。

「これらの言葉はそれぞれどんな意味ですか?」と質問されたら・・・。

どんな風に答えますか?

 

おそらくどの言葉にも「絶対この意味が正しい!」と言える人はいないはずです。

100人いたら100通りの意味がありますよね。

 

しかし、これらの言葉の意味は様々な場面で歪んで伝えられています。

大きな権力を持つ政治家や宗教家、ひいては特定の業界の教材販売者やコンテンツホルダーなど。

 

現代社会では、一部の権力者が特定の言葉に、特定の意味を付け、ねじ曲がった解釈で言葉を使っています。

 

そして、ねじ曲がった解釈を見聞きした人の悩みや不安を生み出すきっかけになっているわけです。

 

もちろん、その逆もあります。

特定の言葉に、特定の意味を見出し、救われている人も一定数います。

 

今回の記事ではどちらかの立場を支持したいわけではなく、考えるきっかけを提供しているに過ぎません。

それではこれらの言葉に対してどう解釈するのが正しいのか?

 

「100人いたら100通りの意味があるはずです。」と伝えているので、明確な答えはありませんが・・・、少し考えてみてください。

 

世の中で「常識」とか「当たり前」と言われていることほど、よくよく考えてみると、少なからず「矛盾」が隠されています。

 

それではまた投稿しますね。

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